名古屋陸軍兵器補給廠の疎開施設

 名古屋陸軍兵器補給廠(名古屋市千種)は、戦争末期に東海地方各地に疎開施設を作っていて、三重県には伊賀分廠と員弁常駐班があり、伊賀分廠には6ヶ所の集積所(関、新堂、府中、花ノ木、島ケ原、壬生野)がありました。

 これまで県下各地で調査してきた陸軍の地下火薬庫や弾薬箱が、ほとんど名古屋陸軍兵器補給廠に関係するものだとわかりました。

(最終更新は2023年1月4日です)


員弁常駐班

 員弁常駐班は本部が治田村(現・いなべ市北勢町治田)に置かれました。場所は今のところ不明です。

 関係する地下壕は見つかっていませんが、弾薬箱がいなべ市北勢町・藤原町・大安町で確認されています。

 弾薬箱は学校や民家などに保管されていました。他の物資は野積みされていたものもありました。

 弾薬は戦後、米軍によって爆破されましたが、弾薬箱は爆破作業に動員された地域住民に分配され、靴脱ぎ台などに使っていました。

員弁各地で確認されている弾薬箱
員弁各地で確認されている弾薬箱

伊賀分廠

新堂集積所

 伊賀市新堂で、地下壕の天井部が崩落して山道が陥没しています。内部には地下壕の一部が残っていますが、地下壕の入り口付近は戦後米軍が爆破しています。

 新堂地区では、この地下壕の他にも多くの地下壕が作られていました。近くの民家では九四式山砲の薬莢が保管されています。 

九四式山砲の薬莢
九四式山砲の薬莢
天井部が崩落開口した地下壕
天井部が崩落開口した地下壕

 判明した地下壕はすべて米軍によって爆破されていますが、今後さらに面的な調査が必要で、地下壕が残存している可能性もあります。