消滅した戦争遺跡

 戦争遺跡の中には、自然崩落や開発によって消滅したものも多くあります。

『三重の戦争遺跡』などで紹介された戦争遺跡で、姿を消したものを紹介します。

(最終更新は2023年11月13日です) 


鈴鹿海軍航空隊・格納庫(鈴鹿市東旭が丘)

左から第3、第4、第5格納庫
左から第3、第4、第5格納庫

 鈴鹿海軍航空隊には5棟の格納庫が造られ、そのうち第3~5格納庫の3棟が現存していました。

 しかし再開発により、保存を求める市民運動も実らず2011年に破壊されました。

 ごく一部の部材は市民の協力により保管されており、希望者に公開されています。

 なお、早期に撤去された2棟のうち1棟は近畿日本鉄道の塩浜駅に移築され、現在も使用されています。

鈴鹿海軍航空隊の円形水槽(鈴鹿市東旭が丘)

 2023年10月に、宅地造成工事で円形水槽が地下から出土しました。当時の航空写真などで存在は知られていましたが、初めて実物が確認できました。

 コンクリート製の水槽は内径が10m、深さ1mで、ほぼ完全に残っていましたが、十分な記録保存も行なわれぬまま、工事により消滅しました。

 付近にはあと二つ同型の円形水槽がありましたが、今回の工事では出土しませんでした。

 

北伊勢陸軍飛行場本部の噴水池(亀山市川崎町)

 亀山市立川崎小学校の新築に伴い2019年に破壊されました。当初は保存されたと聞いて関係者の見識の高さを感じましたが、実際には破壊した後でよく似たものを作ったという意味不明のものでした。歴史的価値はまったくありませんのでご注意下さい。

 隣接して1941年に作られた「第二期下士官候補者卒業記念」碑が建てられています。これは長く旧校舎の裏に放置されていたものです。

明野陸軍飛行学校の監的所(伊勢市東大淀町)

 射撃練習の成果を見るために明野陸軍飛行学校が海岸に造った監的所は2つ現存していましたが、自衛隊官舎近くにあった監的所は造成のために破壊されました。堤防近くのもう一つの監的所は現存しています。

明野陸軍飛行学校の通信用コンクリート施設(伊勢市小俣町元町)

 明野陸軍飛行学校の通信所として使われていたコンクリート施設が水田の中に残っていましたが、2017年に記録保存のための調査が行われ、その後消滅しました。

 当時は、建物の周囲に4本の高いアンテナが立ち、アンテナと建物は線で結ばれていたそうです。建物の周囲には建物と同じ高さの土塁で覆われ、入り口には鉄の扉がついていたそうです。

 

伊勢神宮と高射砲陣地(伊勢市中村町)

 1945年1月に伊勢神宮の外宮に爆弾が落とされたので、同年2月に宇治山田防空隊が配備され、高射砲などを据えました。名古屋の高射砲部隊から精鋭が来たと市民に噂をされました。

 伊勢市中村町の台地には高射砲の砲側弾薬庫3基が残っていました。3つの弾薬庫の中央に、高射砲を据えたコンクリート基礎も残っていました。三重県では唯一残っている高射砲部隊のコンクリート建造物でした。  


発掘で現れた砲座
発掘で現れた砲座

 2021年に開発工事が始まり、同年7月20日から伊勢市教育委員会によって3日間の緊急発掘が行われました。発掘によって砲座が検出され、発掘を担当した山本達也氏によるとこの砲座は宇治山田防空隊の前にいた高射砲部隊が作ったものだと判明しました。

 宇治山田防空隊は、前の部隊が残した砲座や砲側弾薬庫を転用して高射砲陣地をつくったと想定されています。

 この高射砲陣地は発掘調査の後、同年8月に消滅しました。